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zoom RSS 足利尊氏

<<   作成日時 : 2008/05/26 01:20   >>

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足利尊氏 1305〜58

南北朝時代の武将。室町幕府の初代将軍。
1336年従二位大納言、鎌倉大納言。
当時、清和源氏嫡流と見られていた、
名門足利氏の棟梁・足利貞氏の嫡男として生まれる。
母は上杉頼重の娘・上杉清子。
幼名・又太郎ついで鎌倉幕府執権・北条高時から
偏諱を受け高氏と名乗った。
後醍醐天皇が1333年二度目の挙兵した際、鎮圧のため上洛したが、
丹波篠村八幡宮で倒幕側に寝返り六波羅探題を滅ぼした。

新田義貞が鎌倉を落として鎌倉幕府を滅ぼした後、
後醍醐天皇の諱の尊治の字を賜り名を尊氏に改める。
その後始まった後醍醐専制による建武の新政は、
非現実かつ不公正な政策のため次第に支持を失っていった。
代わって尊氏は着実に武士達の支持集めていった。

そうした中、1335年北条高時の遺児・時行が旧幕府残党を率い挙兵し、
当時鎌倉管領をしていた尊氏の弟・直義を破り、
鎌倉を落とした。(中先代の乱)

これを鎮圧するため尊氏が独断で鎌倉に向かい鎮圧する。
その後鎌倉に留まっていると、朝廷との関係が悪化。
新田義貞率いる追討軍が東下したが、箱根竹の下の戦で義貞を撃破して、
朝廷に対して反逆した。
翌年大軍を率いて上京するも、楠木正成・北畠顕家・新田義貞らに
挟撃され大敗、九州に西走した。

しかし途中、光厳上皇の院宣を得たこともあり、圧倒的多数の天皇側の
菊池・阿蘇氏を多々良浜で戦い大勝する。
九州で大軍を集め、再上洛すると、
兵庫湊川で楠木・新田軍を撃破して楠木正成は討死した。
入京後は光明天皇を擁立して建武式目を発表する。
1338年には北畠顕家を和泉石津にて、また新田義貞を越前藤島にて討取り、
後醍醐天皇方の主力は壊滅した。
そして光明天皇から征夷大将軍に任じられ、ついに室町幕府を開いた。

しかし捕らえた後醍醐天皇が脱出、吉野に走り南朝を開く。
こうして尊氏の擁立する北朝と後醍醐天皇率いる南朝による
60年以上に及ぶ南北朝の動乱が始まる事となった。

幕府の開設にあたり、弟・足利直義と二頭政治を布いたが、
執事・高師直と直義の党派対立が起こる。
これに南朝の介入が加わり、1350年の観応の擾乱へと発展し、
天下は三分の相を呈した。
高一族の滅亡・1352年の直義の暗殺により乱は終息したが、
その後も南朝や尊氏の実子で直義の養子・直冬らと戦いを繰り広げた。
6年後背中の腫瘍が原因で死去。後継者は次男の義詮。

天皇に叛旗を翻したことから明治以降は逆賊として
否定的な評価が強くなっていった。
第二次大戦後は再評価され、時代にによって変化している。

人物評価(10段階)

政治 6
智謀 7
用兵 7
武勇 4
魅力 8

ドラマ等の配役
太平記(1991年NHK大河ドラマ、俳優:雨笠利幸/真田広之、主人公)
北条時宗(2001年NHK大河ドラマ、俳優:三觜要介)

参考文献
「鎌倉・室町人物事典」新人物往来社
「戦乱南北朝」学研
「下野の武将たち」
「続下野の武将たち」落合書店
「チンギスハーン蒼き狼と白き牝鹿4ハンドブック」シブサワ・コウ/KOEI
「チンギスハーン蒼き狼と白き牝鹿4マスターブック」シブサワ・コウ/コーエー

参考HP
「激動ユーラシア」
http://homepage2.nifty.com/Kircheis/
「チンゴ」
http://rh1125.ld.infoseek.co.jp/tin.html
「足利尊氏 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%B0%8A%E6%B0%8F
「足利尊氏のホームページ」
http://www.ashikagatakauji.jp/



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